少年の名はジルベール つづき
一気に読了しました。
後半は、若き日の竹宮惠子が、自分のマンガを見つけ出すまでの苦悩と挑戦の日々。
「ロンド・カプリチオーソ」もその時期だったなんて。
「風と樹の詩」の着想を得たものの、当時の少女マンガ編集部には受け入れられず、悶々とする惠子たん。編集者から「別の作品で読者アンケートの1位を取ったら通ります」と教えられ、1位を取るために読み手の期待に応えるような作品を、ってことで描かれたのが「ファラオの墓」だったとは!!
「ファラオの墓」を描く過程で、創作における「演出」の重要性と感動の作り方を理解し、ストーリーをコントロールできるようになったと感じたとき、長い長いスランプから脱出していたんですって。
あるいは、萩尾望都、山岸凉子、「変奏曲」の原案者・増山法恵と旅した45日間のヨーロッパ旅行の話。まず「トマスクック時刻表」を海外から3か月かけて取り寄せてからの自由旅行だったというのには驚きました。
現地では、石畳の構造やエッフェル塔の足、路地の雑貨やに置かれた道具、屋敷の天井の高さや門の大きさ、そういうディティルをしっかりと目に焼き付け写真を撮り、画集や本を買い漁り・・
絵を描き、物語をつくりだすひとから見ると、世界はこのように映っているんだ、ということを存分に味わいました。