本当の勇気は「弱さ」を認めること
ブレネー・ブラウンさんの本を読み返しています。
人は、傷つく可能性があるからこそ、成長できるし人ともつながれる。
ブレネーさんはそう言います。
あ、これってまさに、タレブさんのいう
「身銭を切る」ことだし「反脆弱性」のことじゃないか?
それなのに、なかなか自分の弱さを認められずなんとか隠そうとしてしまう。
その理由は、わたしたちはいつのまにか「恥」のスイッチを押されてしまうから。
恥を引きおこすスイッチのひとつは、例えば無言のうちに求められる女らしさやら男らしさ。
女性ならば、見目よく感じよく、スリムで控えめで、母性にあふれていることが善とされ
男性ならば、常に勝ち、感情を抑え、支配し強くあることが求められ
そうでない自分は「恥ずべき存在」とみなされてもしょうがない
そんな蜘蛛の糸に絡めとられている。
そんな恥の泥沼から抜け出すには
「わたしはこれでいい」という自己肯定感を持って、傷つくことを恐れずに、自分が大切に思う人と関わる勇気を奮い起こすことが必要。
恥を利用した管理は広く行われているから、それをなんとか無くしたい、とブレネーさんは言います。
非難、陰口、えこひいき、ハラスメント
そういうものがある場所では、恥によって管理されているから。
悪い子はいない、
悪いことをした「いい子」がいるだけ。
他人にどう思われるかを気にせずに、自分らしくいられる場所。
恥から解放されたそんな場所、
作りたいなあ。