マリマリのブログ

日々の気づき、読書メモなど

「Why型思考」 猿とバナナ

「『無理』の構造」がおもしろかったので、細谷功さんの本を続けて読んでいます。

今回は「『Why型思考』が仕事を変える」。

 

なぜを5回、とか、WHYからはじめよ、とか、何度も聞いたことはあって、頭ではわかっているつもりだったけど、腹落ちしてなかったんだなあ。

この本を読んでそう思いました。

形だけ「なぜ?」とは問いかけるけど、表面的な答えを聞いたら、それで満足していたかも。

 

「なぜ?」と聞けないのは、あらゆることにはただ一つの正解があって、「知っている方が偉い、知らないのは恥ずかしい」そう感じてしまうから。

実際は、誰も答えを知らない問題を解こうとしているかもしれないのに。

 

”配られた答案用紙を破り捨て、自分で白紙に「さらによい問題」を作り直した上でそれを解いてしまう力”

ああ、こんな力があったらいいなあ。

一人で解かなくてもいいんだから。

 

「猿とバナナ」の話がおもしろかったです。

 

4匹の猿が、部屋の中に入れられた。

部屋の真ん中には高い支柱があり、その先からバナナがたくさんぶら下がっていた。

1匹の猿がバナナを取ろうと支柱に登ったら、冷たいシャワーが降ってきて、バナナは取れなかった。

何度やってもバナナを取ることはできず、猿たちはバナナをあきらめた。

 

4匹の猿のうち、1匹の猿を外に出し、新しい猿を中に入れた。

新しい猿は支柱に登ってバナナを取ろうとしたが、他の猿に止められた。

何度上がろうとしても止められるので、新しい猿はバナナをあきらめた。

 

また1匹猿を外に出し、新しい猿を中に入れた。

新しい猿はやはりバナナをあきらめることになった。

 

そうやって1匹ずつ猿を入れ替えていき、全部の猿が新しくなった。

冷たいシャワーを浴びた猿はもう1匹もいない。

シャワーの装置もとうに外されている。

だけど、猿たちはバナナを取ろうと支柱に上がることはしなかった。


WHYなきWHAT、「なぜ?」が共有されずに形式だけが伝わると、こんな悲喜劇が起きるってのは、あるあるだなあ。

 

WHY思考になるには、天邪鬼になること。

人の言うことをうのみにせず、いちいち理由を問う。

日常生活でやりすぎると煙たがられるから、まずは心の中でやってみる。

本を読むときがお勧めだそうです。

 

Kindleアンリミテッドでした。